アスペルガー傾向に気づいた私が、少しずつ自分を信じられるようになるまで

心のこと

私は40代になってから、自分にアスペルガー傾向があると気づきました。

それは突然の気づきというよりも、
「あれ、もしかして…?」と思いはじめて、
少しずつ情報を集めていく中で、「やっぱりそうかもしれない」と確信に変わっていった感じです。

長年、うまく人と関われなかった理由。
音や光、予定の変更に敏感すぎること。
そして、「私って何か違うのかも…」と感じ続けてきたこと。

それらが一つにつながったとき、
ショックというよりも、静かに“腑に落ちた”感覚がありました。

自分にアスペルガー傾向があると気づいたとき、
驚きや戸惑いもありましたが、
いちばん大きかったのは、「ホッとした」気持ちでした。

「なんでうまくできないんだろう」
「どうして私は、人と同じようにできないんだろう」

ずっと自分を責めたり、無理に合わせようとして疲れたりしてきたけれど、
それはどうしようもないことだったんだ、と思えたんです。

そして、そのときふと、自分にこう声をかけたくなりました。

「よく今まで頑張ってきたね」

誰にもわかってもらえなかったこと、言葉にできなかったこと。
それでも、なんとかやってきた。
私はがんばってたな…と、静かに涙が出ました。

私は人よりも、音や光、言葉の裏の意味に敏感で、
相手のちょっとした表情や声のトーンにも反応してしまうことがあります。

それが原因で、人と一緒にいるとぐったり疲れてしまうこともしばしばで、
「なんで私はこんなに生きづらいんだろう」と感じていました。

でも、自分の特性を知ってから、**“欠点だけではない”**と思えるようになったんです。


細かな変化に気づける力、
馬鹿正直に良いと思うことをやれること——

今まで「厄介な自分」と思っていた部分が、
実は“案外才能”だったのかもしれない。

そう思えたとき、ほんの少しですが、
自分に対する見方がやさしくなりました。

ありのままの自分でいい。
誰かと同じじゃなくても、このままでちゃんと存在していい。

そう思える日が、少しずつ増えていきました。

才能なんだと思えるようになるまでには、
何度も「違うもの」を探しては、転んで、立ち止まってきました。

それでも今、こうして自分のことを少しずつ受け入れられるようになってきたのは、
私の中にあった声に、そっと耳を傾けられるようになったからかもしれません。

完璧じゃなくていい。
転びながらでも、一緒に笑って過ごせたら嬉しいです

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